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竹内浩三を知っていますか。

ブログで竹内浩三のことを書いてみようと思ったのは2008年に新聞で浩三について書かれた記事を見てからでした 稲泉連さんという若い作家が浩三に興味を持たれ浩三の遺作から題名をとった著書「ぼくもいくさに征くのだけれど」を刊行するにあたっての記事でした 中学生の頃は漫画家志望、その後には詩をかくようになり同じ郷里の小津安二郎監督に憧れ映画監督になる道を選ぶが戦争で23歳という若さで逝ってしまった 竹内浩三の遺した詩文からは本音の叫びが伝わってくるし姉に宛てた手紙や日記からは飾らない素直な性格が窺い知ることが出来る わたしはこんな青年が同じ伊勢人(三重県人)であったことを誇りに思います そして浩三のことを知らない人にも伝えたく、また自分ももっと浩三のことが知りたくてブログに書いていこうと思います。新たにカテゴリー「竹内浩三」をつくりました。 

竹内浩三
竹内 浩三(たけうちこうぞう)(向かって右側)
日大時代の親友、山室龍人と。
1921年、三重県伊勢市生まれ。宇治山田中学を経て、日本大学専門部映画科に入学。中学時代の友人たち(中井利亮、土屋陽一)と同人誌「伊勢文学」を創刊し、詩・小説を発表。42年、繰り上げ卒業し、三重県久居の中部第38部隊に入営。その後、筑波の滑空部隊に転属し、「筑波日記」を執筆。45年、フィリピンのパギオ北方1052高地方面で戦死。56年、友人による私家版「愚の旗-竹内浩三作品集」刊行される。66年、松阪市の戦没兵士の手紙集に「骨のうたう」が掲載される。



浩三のことについては私もまだまだ知らないことがいっぱいです。徴兵されて茨城県西筑波飛行場に編成された東部116部隊にいたときに書かれた「筑波日記」を載せていくつもりです。浩三という人物を知るにはこの筑波日記は避けて通れません 生と死、魂の叫び ちょっとシビアですがしっかりと受け止めて書いていきたいとおもいます。
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